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東京地方裁判所 平成6年(ワ)18775号 判決

原告 A

同 B

同 C

訴訟代理人弁護士 岡田和樹

同 君和田伸仁

同 高橋融

同 柳沢尚武

被告 内田好一

訴訟代理人弁護士 高田利廣

同 小海正勝

訴訟復代理人弁護士 加藤雅明

被告 御任明利

訴訟代理人弁護士 加藤済仁

同 松本みどり

同 岡田隆志

訴訟復代理人弁護士 桑原博道

主文

一  被告らは、原告Aに対し、連帯して一二三八万二五七五円及びこれに対する平成五年四月八日から完済まで年五分の割合による金銭を支払え。

二  被告らは、原告B及び原告Cに対し、連帯してそれぞれ五二〇万円及びこれに対する平成五年四月八日から完済まで年五分の割合による金銭を支払え。

三  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

四  訴訟費用は、これを五分し、その四を原告らの負担とし、その余を被告らの負担とする。

五  この判決は、原告ら勝訴部分に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一当事者の求めた裁判

一  原告ら

1  被告らは、各自原告Aに対し五七五九万九三四〇円、原告B、同Cに対し各二八〇七万五八八二円及びこれらに対する平成五年四月八日から完済まで年五分の割合による金銭を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  被告ら

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二事案の概要

本件は、脳動脈瘤のクリッピング手術を受けた患者に、脳出血及び脳浮腫が認められたため、当初は保存的治療を施したものの改善が見られず、その後、外減圧術を施したものの、結局外減圧術後約二週間で右患者が死亡したことについて、患者の遺族らが、主治医には、患者の容態から見て適切な時期に外減圧術を施さなかった過失があるなどと主張して、病院の開設者及び主治医に対し、逸失利益及び慰謝料等合計一億一三七五万一一〇四円の損害賠償を請求した事案である。

一  基礎となる事実

(証拠により認定した事実については、括弧内に認定に供した証拠を掲記する。)

1  当事者等

(一) D(以下「D」という)は、昭和一七年一〇月二二日に生まれ、大学卒業後、栗本鉄工株式会社、日揮株式会社への勤務を経て、平成五年二月当時、日揮商事株式会社に勤務していた男性である〔甲一六号証〕。

原告A(以下「原告A」という)は、Dの妻であり、原告B(以下「原告B」という)は、Dと原告Aとの間の長女、原告C(以下「原告C」という)は、Dと原告Aとの間の長男である。

(二) 被告内田好一(以下「被告内田」という)は、東京都足立区で「コーワ病院」(平成五年二月当時の名称は「聖コーワ病院」。以下、「本件病院」という)を開設する者であり、被告御任明利(以下「被告御任」という)は、平成五年二月当時、本件病院に勤務していた脳神経外科を専門とする医師である。

2  事実の経過

Dに対する診療・手術・治療等についての事実経過の概要は、以下のとおりである。〔甲一六号証、乙一ないし八号証、原告Aの供述、被告御任の供述〕

(一) 本件病院の受診及び検査入院

(1)  平成五年二月一三日、Dは、嘔気を伴う激しい頭痛を訴え、本件病院で被告御任の診察を受けた。

被告御任は、Dについて軽度の頸部硬直も認められたところから、くも膜下出血を疑い、CT検査を行ったが、出血の所見は認められず、点滴を行ったところ、頭痛も治まった。しかし、被告御任は、CTでも分からない小出血のくも膜下出血がある可能性もあると判断し、Dに対し、くも膜下出血の有無を確認するため腰椎穿刺による髄液検査を受けることを勧め、翌週の月曜日である一五日に来院するように告げて、Dを帰宅させた。

同月一五日、被告御任は、来院したDから、頭痛は改善したとの説明を受けたが、一三日の頭痛が脳動脈瘤によるものである可能性があり、くも膜下出血が起こったことも否定できないところから、Dに対し、腰椎穿刺を再度勧めるとともに、確定的な診断のためには脳血管撮影が必要であることを説明した。これに対し、Dは、はっきり診断がついた方がよいので、脳血管撮影の検査を受けたいとしたが、仕事の関係があり検査を受けるのは後日にしたいと希望したところから、被告御任は、検査を三月一二日に行うこととし、この際、被告御任は、Dに対し、脳血管撮影検査の際には入院が必要であることや、検査の具体的な方法、検査に伴う合併症(脳梗塞など)の危険性について説明した上、「検査説明・承諾書」(乙二号証五枚目)を渡した。

なお、被告御任は、同月一九日、来院したDから、同人が一七日に飲酒した後に嘔吐し、京橋病院に救急車で搬送されたということがあったとの報告を受けたが、受診時には頭痛の訴えもなく、血圧も安定していたので、予定どおり、三月一二日に右の検査を行うこととした。

(2)  三月一二日、Dは、前記「検査説明・承諾書」の患者欄及び配偶者欄に自ら署名押印したものを持参して、本件病院に検査目的で入院した。

そして、被告御任がDの脳血管撮影を行ったところ、右中大脳動脈分岐部に動脈瘤が認められた。

そこで、被告御任は、Dに対し、検査の結果脳動脈瘤が見つかったが、これを放置しておくと、破裂してくも膜下出血を起こす危険があるなどと説明し、この動脈瘤にクリップを掛けて破裂しないようにする手術(脳動脈瘤ネッククリッピング手術。以下「クリッピング手術」という)をした方がよいと勧めた。Dは、被告御任が、Dの動脈瘤は、部位的に手術し易い場所にあるなどと説明したことなどから、その場で手術を受けることに同意した。ただし、Dの仕事の関係などから、手術の日は、同月二四日とすることになった。

(二) 本件クリッピング手術

(1)  三月二二日、Dはクリッピング手術を受けるため、本件病院に入院した。そして、同日、被告御任は、Dに対し、クリッピング手術の方法に関する説明をし、翌二三日には、被告御任とともに手術を行う予定の山崎医師も、Dの質問に答えて、開頭部分等について説明した。

(2)  三月二四日、午後二時五四分から六時一五分までの間、被告御任及び山崎医師は、Dのクリッピング手術(以下「本件クリッピング手術」という)を施行した。具体的な手術方法は、右前頭側頭を開頭し、中大脳動脈M1(近位部)と同M2(遠位部)の分岐部にある動脈瘤に杉田一号クリップを掛けるというものであったが、動脈瘤頸部の前面が一部残ってしまうことから、被告御任らは、クリップを杉田八号クリップに掛け直し、脳内の出血がないこと及び脳に腫れがないことを確認した上で、閉頭した。

(3)  同日午後六時三〇分、手術室からICUに帰室したDは、呼びかけに反応し、両手把握反射もあったことから、麻酔覚醒が良好であると判断され、気管内に挿管されていたチューブが抜去された。

(三) 本件クリッピング手術後の経過

(1)  手術当日の二四日午後八時ころから午後一〇時ころまでの間、Dは時々自分で起きあがろうとする動きを見せたが、麻痺や瞳孔不同は認められず、意識レベルも3-3-9度方式の分類(以下、同様)でI-2~1と判断された。

翌二五日未明にも、対光反射はあり、Dを観察した看護婦は、意識レベルに変動がないと判断した。

(2)  ところが、同日午前八時ころの診察においては、Dの意識レベルはII-20~30であり、対光反射は正常であったが、左不全麻痺や舌根沈下傾向も認められたため、被告御任は、脳浮腫の疑いがあると考え、リンデロン(ステロイド剤)及びグリセノン(高浸透圧剤)の投与を開始するとともに、午前九時三〇分過ぎころ、緊急のCT検査を行った(以下「第一回CT」という)。

第一回CTの結果、脳の右側に脳浮腫の所見が認められ、右前頭頭頂部には脳内出血の所見も認められた。被告御任は、この脳内出血の原因を特定できなかったものの、CTの所見からは外科的処置を必要とする程のものではなく、却って外科的処置を行えば、脳浮腫を一層悪化させる危険があると判断し、とりあえずは保存的治療に委ね、リンデロンとグリセノンの投与を続けることにし、原告らにもその旨の説明をした。

(3)  同日午後一〇時ころの観察で、Dに五・〇×三・五の瞳孔不同を認めた看護婦に呼び出された被告御任が、午後一〇時三〇分ころ、Dを診察すると、意識レベルがIII-200 に低下しており、瞳孔不同や不規則呼吸が認められた。そこで、被告御任は、気管内挿管による呼吸管理を開始するとともに、午後一一時ころ、緊急のCT検査を行った(以下「第二回CT」という)。

第二回CTの結果、脳内出血の所見に余り変化は認められなかったが、脳浮腫の悪化が認められたため、被告御任は、もはや保存的治療は限界にきており、外減圧術の施行が必要であると判断し、原告らにその旨の説明をした。

(四) 外減圧術及びその後の経過

(1)  三月二六日午前〇時三〇分過ぎころから同二時三五分ころにかけて、被告御任はDの外減圧術、すなわち硬膜を開けて上昇した脳圧を下げる手術を施行した。

(2)  同日午前一〇時三〇分ころ、被告御任が再びDのCT検査を行った(以下「第三回CT」という)ところ、脳浮腫は依然として強いものの、出血が増大している所見は認められなかった。

(3)  しかし、その後も、Dの意識が回復することはなく、Dは、四月八日午後七時二三分、死亡するに至った。

なお、Dの脳は病理解剖に付されたが、脳病理報告書〔乙八号証の3〕によると、Dの脳には、主たる脳病変として上矢状静脈洞血栓、脳出血及びくも膜下出血が認められるが、レスピレーター脳のため破壊が強く、所見が非常に取りにくいと指摘されている。

二  争点

本件の争点は、以下のとおりである。なお、本件における中心的な争点は、争点<3>の(イ)である。

<1>  被告御任に、インフォームド・コンセントを怠った過失、すなわち、患者ないしその家族に対し、本件クリッピング手術の危険性等について十分に説明すべき義務の違反があったか、否か。

<2>  被告御任に、本件クリッピング手術時における過失、すなわち、静脈損傷を回避し、止血を十分に行うべき義務の違反があったか、否か。

<3>  被告御任に、本件クリッピング手術後の対応における過失、すなわち、(ア)本件クリッピング手術後適切に診察すべき義務の違反があったか、否か、(イ)本件クリッピング手術後早期に外減圧術を行うべき義務の違反があったか、否か。

<4>  被告内田に、十分な診療体制を採らなかった過失があったか、否か。

三  争点等に関する当事者の主張

1  争点<1>(説明義務違反の有無)について

(一) 原告ら

(1)  医師は、生命の危険を伴う手術を実施するに際しては、患者やその家族に対して、患者の症状とその原因、当該手術を行う理由、手術の内容、それによる危険性の程度、それを行った場合の改善の見込み・程度、当該手術をしない場合の予後等について、患者やその家族が、敢えて危険を犯してでも当該手術を受けるべきか否かを主体的に選択できるように、説明する義務がある。特に、病状が重篤でなく手術の必要性が一刻を争うようなものでない場合に、生命に対する危険を伴う手術を行うに当たっては、より詳細な説明を行う義務がある。

(2)  ところで、未破裂の脳動脈瘤は、脳動脈瘤の重症度分類において最も軽度のものに分類されており、これが破裂する確率は、年一パーセントから一・五パーセント程度であり、直径一センチメートル以下のものは破裂しにくいともいわれている。そして、Dは、本件クリッピング手術直前に頭痛を起こした程度であり、脳動脈瘤が発見されても、直ちに手術しなければならないような症状ではなかった。

また、未破裂脳動脈瘤の手術は、その成功確率は破裂脳動脈瘤の手術のそれに比べて高いとはいえ、頭蓋内を侵襲するものであるから、生命に対する危険を伴うものである。それゆえ、未破裂の脳動脈瘤が発見されたとき、直ちに手術を行うべきか否かについては議論の分かれるところでもある。

(3)  ところが、被告御任は、D及び原告らに対し、クリッピング手術は簡単な手術であるなどと、原告らにおいてDが死亡するに至ることなど想像もできないような説明を行った。

すなわち、被告御任は、Dの脳血管撮影の結果、小豆大の動脈瘤が発見されたが、これを放置しておくとくも膜下出血を起こすから、クリッピング手術をするようにと勧めた。しかし、手術に危険が伴う旨の説明は一切せず、手術により麻痺を起こす可能性はあるが、左手や左腕が痺れる程度で、二、三日もすれば治るし、三日日には自由に歩けるようになって、二週間程度で退院できると説明した。また、手術の方法についての説明もなく、手術をしなかった場合の動脈瘤が破裂する可能性が強調されるばかりで、その確率についての説明もなかった。

そのため、D及び原告Aは、手術による生命の危険性が全くないものと判断して本件クリッピング手術に同意したのであり、仮に被告御任が十分な説明を尽くしていれば、手術に同意をすることはなく、Dの死亡という事態も起こり得なかったものである。

(二) 被告ら

被告御任は、D及び原告Aに対し、本件クリッピング手術の必要性、内容、危険性などについて、十分な説明をした。

すなわち、三月一二日にDが脳血管撮影のために入院した際には、被告御任は、D及び原告Aに対し、Dの二月一三日の頭痛はCTでは判らないような動脈瘤からの小出血が原因と思われること、このまま放置していれば破裂により再出血する可能性が常にあること、再出血した場合は初回の出血の際より重症になり、最悪の場合には死に至る可能性があることを説明し、これらを防ぐためには早急な手術の必要があることを説明した。また、被告御任は、一度破裂した脳動脈瘤は常に破裂する危険性があることから、手術中に出血する危険もあること、術後麻痺、髄膜炎や肺炎などの感染症のほか、肝機能障害などの合併症の出現する危険性があることをも説明した。さらに、非常に良い経過であっても、手術後一か月の入院は必要なこと、手術は、顕微鏡を使い、脳の大きな割れ目であるシルビウス裂より脳の深部に至り、脳動脈瘤の瘤のところにクリップをかけるというものであること、その際、正常な血管にクリップをかけたり、末梢の血流低下を来したりすることがないように注意して行うことも説明した。

続いて、三月二二日にDが本件クリッピング手術のために入院した際には、被告御任は、Dに対し、本件クリッピング手術について、皮膚切開の方法、骨弁除去、顕微鏡を用いた脳動脈瘤到達法、クリッピングの方法、術後は皮下に貯まることがある血液を排除するために管を三日程入れること、などを説明した。また、麻酔時に口に入れている挿管チューブのため手術後すぐには声が出せず、離握手の指示(手を握って、離してという指示)に応じられ、名前を呼ぶと眼を開くのを確認した後、挿管チューブを抜くことを説明した。なお、看護婦からもDに対して術前オリエンテーションが行われている。

さらに、三月二三日、山崎医師からも、D及びその家族に対して手術の説明が行われた。

2  争点<2>(本件クリッピング手術時における過失の有無)について

(一) 原告ら

(1)  脳の手術においては、頭蓋内での出血を防止することが極めて重要であり、脳動脈瘤のクリッピング手術においても、術者には、血管の損傷を極力回避し、仮にこれを損傷して出血をきたした場合には、十分な止血を行うべき義務がある。

ところが、被告御任は、本件クリッピング手術に際し、血管の損傷を回避すべき義務を怠り、これを損傷した。また、損傷した血管からの出血の止血に際し、手術後出血を起こさないような処置を施すことを怠った。このため、手術後の脳内出血を招き、Dを死に至らしめた。

(2)  右の点について、被告らは、Dのクリッピング手術部位付近の出血や右脳の浮腫の原因について、上矢状静脈洞血栓等により静脈が詰まった結果脳浮腫が起き、その後に出血が起きたのであり、出血はあくまで二次的なものに過ぎないと主張する。しかし、第一回CTと第二回CTの結果とで血腫の大きさがほぼ変わらず、出血もまだら状に起きてはいないこと、両CT像では血腫の大きさと浮腫の大きさがほぼ一致していること、本件クリッピング手術が施行された右側にのみ強い変化が生じていること、第一回CTは手術の約一五時間後に撮影されており、このCTにおいて血腫の存在が確認されているが、これは上矢状静脈洞血栓による出血としては時期が早すぎること、さらに、上矢状静脈洞血栓自体が極めて稀にしか発生しないこと、以上の事情からすれば、脳浮腫が血腫に先行した可能性、すなわち出血の原因が上矢状静脈洞血栓を引き金としたものである可能性は極めて低い。

一方、血腫ができれば血腫の周りに浮腫ができ、脳圧が高くなると脳全体が浮腫み出すところ、右のように第一回及び第二回CTの結果によれば、血腫の大きさと浮腫の大きさがほぼ一致していることからして、血腫が原因で浮腫が生じたものと考えられる。

以上によれば、Dの脳内出血は、本件クリッピング手術時に損傷した血管からの出血である可能性が高い。

(二) 被告ら

第一回CTで認められた脳内出血の原因は、上矢状静脈洞血栓症を原因とする静脈環流障害による出血(静脈性出血性脳梗塞)である。

そのように判断する根拠は、出血が球形でないこと、出血がまだら状になっていること、出血源が一本の血管ではないこと、脳浮腫の強さから、この脳浮腫が本件のような程度の出血を原因とするものとは考え難いこと、第一回CTと第二回CTとで、出血の大きさはほぼ同じなのに、脳浮腫は強くなっており、出血が止まってからも脳浮腫が進んでいること、Dの病理解剖の結果、上矢状静脈洞血栓の存在が確認されていること、等である。

したがって、Dの出血が本件クリッピング手術時に損傷した血管からの出血である可能性が高いということを前提とする原告らの過失の主張は理由がない。

3  争点<3>(ア)(本件クリッピング手術後の診察義務違反の有無)について

(一) 原告ら

(1)  クリッピング手術は、脳という人間の最も重要でデリケートな部位に対する侵襲を伴う手術であるから、これを行った被告ら医師及び病院には、クリッピング手術後の患者の容態について十分な注意を払い適切な診療を行って、万一患者の容態に異常が生じた場合には、早急にその原因を究明し、適切な処置を施す義務がある。

(2)  ところが、被告御任は、クリッピング手術後の三月二四日午後六時一五分から、脳ヘルニアが不可逆的に進行するに至った三月二五日午後一〇時三〇分までの約二八時間の間に、わずか六回しかDを診察していない。特に、最も肝心な手術直後に関しては、術後約二時間を経過した午後八時と、その後更に二時間三〇分を経た午後一〇時三〇分に診察した後は、翌日の午前八時までの九時間三〇分もの間、何の診察もしていないのである。

また、二五日の午前九時三〇分すぎころに実施した第一回CTの結果、頭蓋内に出血が見られたのであるから、少なくともそれ以降、被告御任においては、こまめにDの病状を診察し、これに基づいて早期に必要かつ適切な処置を執るべきであったのに、約五時間三〇分後の午後三時ころまで診察をせず、その後も同日午後一〇時三〇分ころまでDを診察しないまま放置していた。

また、本件病院の看護婦らは、三月二五日に入ってからDの容態が更に悪化していたにもかかわらず、これを被告御任に報告することを怠るなどしており、看護婦と被告御任との連絡は極めて不十分なものであった。

(3)  被告御任及び本件病院の看護婦らがつぶさにDの容態を診察・観察し、十分な注意を払っていれば、Dの死亡は回避できたところ、被告御任及び本件病院の看護婦らは、右のような診察・観察義務を怠り、その結果、被告御任は、Dの容態が手術後間もないころから悪化の一途を辿っていたことを読み取れず、漫然と保存的治療に委ね続けるといった判断ミスを犯し、Dを死に至らしめたのである。

(二) 被告ら

被告御任に、原告らが主張するような本件クリッピング手術後の診察義務違反はない。

本件クリッピング手術は特に問題もなく終了し、被告御任は、二四日午後六時三〇分頃ころ、同八時ころ、及び同一〇時ころに、Dの意識状態、麻痺の有無、対光反射や瞳孔所見などの神経学的所見に異常がないことを確認している。同一〇時以降も、瞳孔所見に異常はなく、血圧や脈拍数も特に異常値ではなかった。

ところが、二五日午前八時ころ、被告御任がDを診察したところ、瞳孔所見に異常は認められなかったが、軽い意識障害と左不全麻痺の所見が認められたことから、脳浮腫を疑い、直ちにステロイド剤及びグリセノンの投与による治療を開始するとともに、緊急に第一回CT検査を行ったものである。

その後の被告御任が行ったDの病状に関する診察行為にも不適切な点はない。

4  争点<3>(イ)(本件クリッピング手術後早期に外減圧術を行うべき義務の違反の有無)について

(一) 原告ら

(1)  脳の手術においては、術後の脳圧管理が極めて重要であり、そのためには、脳圧降下剤を投与するなどし、それでも効果があらわれない場合には、早期に開頭減圧術(脳に対して外科的に減圧を行う場合一般をいう。)を行う必要がある。このような措置を怠れば、脳圧亢進状態が進み、やがては脳ヘルニアに進行し、死に至る危険があるからである。したがって、頭蓋内圧亢進がみられた場合には、脳ヘルニアに至らない段階で右の処置を施す必要がある。

また、意識レベルの低下などの脳ヘルニアの徴候が表われた場合には、その段階で速やかに外減圧術を行うべきである。意識レベルが3-3-9度方式の二桁になった場合、外減圧術が必要であるが、この時期の適切な治療結果は一般に良好とされている。

(2)  ところで、本件において、クリッピング手術後間もなく(遅くとも三月二四日午後一〇時ころから)Dの容態は変調をきたし、その後悪化の一途を辿った。すなわち、午後八時の時点で意識障害が始まっており、午後一〇時には意識障害の程度が一層進んでおり、その後何の改善も見られていない。

そして、二五日午前八時三〇分には左不全麻痺が生じ、午前九時三〇分の第一回CTの結果、脳動脈瘤の手術側の前頭葉、側頭葉、頭項葉に四×四・五×六センチメートルの血腫が確認されているのであるから、どんなに遅くとも、この時点でDの容態が重大な局面を迎えていたことは明らかである。

このように、Dの容態は極めて悪化していたのであるから、遅くとも第一回CT直後の時点で、血腫を除去し脳圧を下げる開頭減圧術を行うべきであった。ところが、被告御任は、漫然と保存的治療に委ねたのである。

被告御任は、右の時点で開頭減圧術に踏み切らなかった理由として、第一回CTの結果では、出血以上に脳のむくみが強かったから、本件クリッピング手術後早い時期に手術をすることで余計脳にダメージを与え、むくみが強くなることが懸念されたことを挙げる。しかし、第一回CTで認められた血腫は右のように極めて大きいものであり、これこそが脳圧を高めていたのであるから、まずもってこの血腫を取り除いて減圧すべきであった。しかも、臨床経過からすると、Dの容態は悪化の一途を辿っていたのであるから、この時点においてもなお保存的治療を選択したのは明らかな判断ミスというべきである。

(3)  仮に、第一回CTの後、とりあえず保存的治療を選択したことが誤りでなかったとしても、治療効果が上がるか否かは薬(リンデロン、グリセノン)を投与してから一時間程度もすれば判明するところ、Dの容態は悪化の一途を辿っており(午前一〇時には軽度舌根沈下、午後零時には呼名反応なし)、投薬の効果は全く上がっていなかったのであるから、遅くとも午前一〇時三〇分頃には開頭減圧術に踏み切るべきであった(なお、被告御任は、投薬による治療効果が上がっているかどうかの確認すらしていないのである。)。

この時点で開頭減圧術を行っていれば、左の不全麻痺が残存した可能性は否定できないにしても、それはリハビリで治るような軽いもので済んだ可能性があったのである。

(4)  また、その後もDの容態は悪化の一途を辿っており、二五日午後六時には、対光反射の鈍化、開眼せず刺激を与えることにより反応、瞳孔不同といった脳ヘルニアの徴候を呈し始めていたのであるから、どんなに遅くともこの時点で開頭減圧術をすべきであった。

この時点で開頭減圧術を施していれば、死亡という最悪の事態は回避できたのである。

(二) 被告ら

(1)  第一回CTにより認められた出血は、静脈環流障害(静脈性出血性梗塞)によるものであるところ、その原因を第一回CT撮影直後の時点で診断することはできないし、静脈性の出血であるからその出血部位は無数にあり、出血箇所に対し、一つ一つ止血処置を行うことはできない。

そして、このような出血の場合、血腫除去や外減圧術を行うと組織圧(頭蓋内圧)によって止血されていたものが、再び出血することになる。また、血腫除去や外減圧術を行っても、静脈環流障害の原因が不明で、それを除去できないのであるから、脳浮腫の改善を期待することはできないし、逆に悪化する危険もある。

さらに、右の時点で、Dには脳内出血や脳浮腫が原因で生命に直接かかわる脳ヘルニアの徴候を疑わせる瞳孔不同の所見は認められていない。

そこで、被告御任は、瞳孔不同などの所見が出現して脳ヘルニアの徴候が認められれば外科的治療を行うことにし、当面、保存的治療を行うこととしたのである。

したがって、被告御任が右の第一回CTの所見から保存的治療を選択したことは適切であり、過失はない。

(2)  被告御任は、二五日午後一〇時三〇分ころ、Dに、意識レベルの低下、不規則な呼吸、瞳孔不同の所見が認められたことから、第二回CT検査を行ったところ、脳浮腫の悪化が認められた。そこで、脳ヘルニアの徴候を疑い、保存的治療も限界にきたと判断し、外減圧術を行うこととしたものである。なお、この段階では、脳ヘルニアの病態としては、致命的な中脳から橋上部の障害に至っていない一方、外減圧術による病態の悪化も懸念されたところである(結果において、外減圧術後に、脳浮腫の所見は悪化しているところである。)。

以上よりすれば、被告御任が外減圧術を行うべきであると判断した時期は、遅いとはいえない。

(3)  なお、Dの死因は上矢状静脈洞血栓症であるところ、血栓症の原因は不明であり、血栓症に対する適切な処置が行われていない以上、仮に二五日夕方までに血腫の除去や外減圧術を行ったとしても、Dの病態を改善することはできなかったのである。

すなわち、本件クリッピング手術後においては、Dの死亡の回避可能性はなかったものである。

5  争点<4>(被告内田の診療体制における過失の有無)について

(一) 原告ら

(1)  病院等の医療機関において、手術後の緊急事態に対応できるだけの体制を整えることは、病院開設者の義務であるところ、被告内田は、脳外科の医師が一人しかおらず、緊急の事態が発生した場合にそれに対応できるだけの体制がないまま、被告御任にクリッピング手術を行わせたものである。

また、看護婦は、患者の容態をつぶさに観察し、患者の容態に変化があった場合には、至急担当医に連絡を取り、担当医の指示に従った措置を講ずる義務があり、病院の開設者は、看護婦らに対して、右措置を講ずるよう教育を施し、これを実践させるべき義務を負うところ、Dの担当看護婦はDの容態を極めて不十分にしか観察していなかったし、被告御任と看護婦との連絡体制も極めて不十分であった。もし、看護婦が十分な観察をして被告御任に報告をしていれば、被告御任においてもより早い段階で措置を講ずることができ、それによりDの死亡という事態は回避できた可能性が極めて大きかったのである。

(2)  したがって、被告内田には、十分な診療体制、看護体制を持たないまま、安易に被告御任にクリッピング手術を行わせた過失がある。

(二) 被告内田

本件クリッピング手術については、東邦大学脳神経外科医局による充分な連絡、指導のもとに、手術時には医師の派遣を受けているし、術後管理についても同様に管理指導を受け、緊急時には当直医(外科医)が協力している。また、本件病院には常勤外科医師が二名おり、一人は手術へ、一人は外来へという対応が可能であった。

6  被告らの責任原因に関する原告らの主張

(一) 被告御任について

被告御任は、治療行為を行う医師としての右1ないし4の各(一)記載の各義務を怠り、Dを死に至らしめたものであるから、民法七〇九条に基づき、原告らが被った損害を賠償する義務がある。

(二) 被告内田について

被告内田は、本件病院の開設者として、Dとの間で脳動脈瘤治療の契約を締結したところ、Dを死に至らしめた。これは右治療契約の不履行に当たる。

また、被告内田は、被告御任を雇用していたものであり、使用者に当たる。

したがって、被告内田は、民法四一五条または民法七一五条、七〇九条に基づき、原告らが被った損害を賠償する義務がある。

7  損害に関する原告らの主張

(一) 逸失利益 八一六二万三五三〇円

Dは、本件病院入院当時、満五〇歳の健康な男子であり、会社員として稼働していたところ、被告らの過失により死亡しなければ、満六七歳までの一七年間は就労可能であった。死亡当時のDの年収は、一〇三四万二八二八円(平成四年の収入)であったので、右金額を基礎に生活費として三割(扶養家族三人)を控除し、ライプニッツ式計算式により年五分の割合の中間利息を控除した右一七年間の逸失利益の現価を算定すると、八一六二万三五三〇円になる。

一〇三四万二八二八円×(一-〇・三)×一一・二七四

原告Aは二分の一、同B及び同Cは、各四分の一の割合で、それぞれDの右逸失利益の損害賠償請求権を相続した。

(二) 死亡慰謝料 原告A  一二〇〇万円

原告B、C 六〇〇万円

原告AはDと幸福な家庭生活を営んでいたところ、Dの死亡によりその家庭生活を根本的に破壊され、原告B及び同Cは、成人を前に予期せずして父親を失ったものであり、その精神的損害は甚大である。したがって、原告ら固有の慰謝料またはDの慰謝料請求権を相続した結果である慰謝料は、標記の金額を下らない。

(三) 葬儀費用 一七八万二五七五円

原告Aは、Dの葬儀費用として一七八万二五七五円を支出した。

(四) 弁護士費用

原告らは、原告ら訴訟代理人らに本件訴訟の提起・追行を依頼し、その費用として、原告Aは三〇〇万五〇〇〇円、原告B及びCは各一六七万円を支払うことを約した。

(五) まとめ

原告A   五七五九万九三四〇円

原告B、C 二八〇七万五八八二円

第三争点等に関する判断

一  争点<1>(説明義務違反の有無)について

1  基礎となる事実及び証拠〔甲一〇、一一、一六号証、乙二、三、七号証、原告Aの供述、被告御任の供述〕並びに弁論の全趣旨によれば、本件クリッピング手術を実施するに際し、被告御任がDに対して行った説明内容等に関して、以下の事実が認められる。

(一) 平成八年三月一二日のDの脳血管撮影の結果、Dの右中大脳動脈分岐部に動脈瘤が認められたことから、被告御任は、同日、病室で、Dに対し、脳動脈瘤が認められたこと、二月一三日の激しい頭痛は、この動脈瘤から少し出血があったか血管の攣縮が起こったためである可能性が高いことを説明した。

そして、右の頭痛はいわゆるウォーニングサイン(警告症状)というもので、この動脈瘤を放置しておくと破裂してくも膜下出血に至る可能性がかなり高く、その場合は重篤になって手術できないこともあるので、破裂を防ぐために、できるだけ早い機会に脳クリッピング手術を受けた方がよいとの説明をした。

さらに、被告御任は、場合によっては、脳クリッピング手術中に動脈瘤から出血してしまう可能性もあること、手術後に麻痺が出る可能性もあること等も説明したが、一方では、Dの動脈瘤はそれが存在する部位からして手術し易く、難しい手術でないとの趣旨を強調し、早期に手術を受けるように勧めた。

その結果、Dは手術を受けることをその場で承諾し、手術予定日は、被告御任が勧めた三月一七日は仕事の都合で無理であるということから、三月二四日とすることになった。

(二) また、Dが右の検査入院からいったん退院した後の三月一六日、原告Aは、Dの従兄弟で外科医である近藤慧から脳の手術について詳しい話を聞こうと思い、近藤に電話をかけた。そして、途中で原告Aから電話を替わったDは、近藤から、自分は脳の専門家でないから詳しいことは分からないが、脳の手術を受けるのなら、もっと大きな病院で受ける方が良いのではないかと言われた。しかし、Dは、自宅の近所にある本件病院でよいと判断し、予定どおり手術を受けることにした。

(三) そして、被告御任が、Dに対し、入院当日の三月二二日に本件クリッピング手術の方法に関する説明を行い、また、山崎医師が、翌二三日、Dの質問に答えて開頭部位等について説明したことは、前示基礎となる事実2(二)(1) のとおりである。

2(一)  ところで、医師は、医的侵襲を伴う治療行為を行おうとする場合においては、患者に対し、当該患者の疾患に関する診療内容、実施する予定の手術の内容及び手術に伴う危険性を説明すべき義務を負うことはいうまでもない。

そして、本件クリッピング手術は、前示基礎となる事実2(二)(2) のとおり、頭蓋内を侵襲するという身体への侵襲の程度が大きいものであって、手術中に脳動脈瘤から出血する可能性や、脳浮腫あるいは頭蓋内血腫をひき起こす危険、髄膜炎などの合併症を併発する危険などを伴った手術である〔乙七、九号証〕。一方、前示基礎となる事実2(一)のDの本件病院受診、検査入院の経過等からすれば、本件クリッピング手術の実施が緊急を要するものであったとまではいえないことも明らかである。

本件における右のような事情に照らせば、被告御任が本件クリッピング手術を受けることをDに勧めるに当たっては、Dに対し、Dの現在の症状・疾患に関する診断の内容、本件クリッピング手術の内容及び手術に伴う危険性について説明すべきであるばかりでなく、本件クリッピング手術を実施した場合の効果ないし改善の程度や手術をしなかった場合の予後の内容ないし見通しについても説明を行い、もって、Dにおいて本件クリッピング手術を受けるか否かを自らの判断で決定するための基礎を提供すべき義務(以下「本件説明義務」という)を負っているものというべきである。

(二)  そこで、被告御任において、本件クリッピング手術の実施につき、Dに対する本件説明義務を尽くしたと認められるか否かについて検討する。

前1のとおり、被告御任は、Dに対し、脳血管撮影の結果、Dに脳動脈瘤が発見されたこと、二月一三日の激しい頭痛はこの動脈瘤からの小出血等が原因である可能性が高いと考えられることを説明した上で、今後もこの動脈瘤を放置しておくと、それが破裂してくも膜下出血をひき起こす可能性がかなり高く、その場合は重篤となって手術ができないこともあること、そこで、脳クリッピング手術という手術を受けて、これが破裂しないようにする方がよいとの趣旨の説明をしたところである。また、被告御任は、手術中に脳動脈瘤から出血してしまう可能性があることや手術後に麻痺が出る可能性があることについても一応の説明は行ったところである。

もっとも、被告御任の右の説明は、脳血管撮影の検査結果が判明した直後にDの病室(五人部屋)のベッドサイドで行われたもので、それほど多くの時間をかけての説明ではなかったと窺われる〔原告A、被告御任の各供述、弁論の全趣旨〕ものであり、手術をした場合に発症する可能性のある合併症の詳細やその発症の可能性についての確率的な説明はしておらず、また、手術をせずに放置した場合に発見された動脈瘤が破裂する可能性についての確率的な説明もしておらず、全体としてみると、被告御任のDに対して行った説明は、本件クリッピング手術が部位的には易しいものであることなど、ややもすれば本件クリッピング手術の安全性ないし容易性の強調に傾斜した内容のものであったとの感を免れないところである。

しかしながら、前示のとおり本件クリッピング手術の実施が緊急を要するものであったとまでは認められないものの、Dが二月一三日に経験した嘔気を伴う激しい頭痛は発見された脳動脈瘤の破裂の危険を警告するいわゆるウォーニングサインであり、この動脈瘤からすでに小出血があった可能性が高いとの被告御任の医学的判断が合理性を欠くものとは認められず(なお、実際にも、本件クリッピング手術の際、くも膜の肥厚や癒着、脳脊髄液の貯留が認められたことから、手術前に右の脳動脈瘤からいくらかの出血があったものと考えられるところである〔乙三号証〕)、かつ、このような場合に、その脳動脈瘤を放置しておくと破裂してくも膜下出血をひき起こす可能性がかなり高いとの被告御任の医学的判断が合理性を欠くものとは認められず、そうであるとすれば、脳動脈瘤がひとたび破裂・出血してくも膜下出血を起こした場合の予後が極めて悪いことは脳神経外科の分野における共通の認識である〔甲二五号証、弁論の全趣旨〕以上、この破裂を予防するためにできるだけ早い機会に脳クリッピング手術を受けるのが望ましいとの被告御任の医学的判断とその趣旨の説明自体は的確なものであったと認められること(なお、仮に、Dに認められた脳動脈瘤が無症候性未破裂脳動脈瘤であったとしても、右の脳動脈瘤は大きさが七ミリメートルのものであり、その発生部位等に照らしても、手術適応は優に認められるところである〔甲二五号証、乙七号証〕。)、Dに対し、手術中に脳動脈瘤から出血する可能性があることなど手術に伴う危険性についても一応の説明はされているうえ、もともと侵襲部位が頭蓋内であることから、Dにも本件クリッピング手術がある程度の危険性を伴うものであることは理解し得たものと推認することができること、等の諸事情を総合考慮すれば、被告御任は、本件クリッピング手術を受けることを勧めるに当たって、Dに対し、Dの現在の症状・疾患に関する診断内容、本件クリッピング手術の内容、手術に伴う危険性、本件クリッピング手術を実施した場合の効果及び手術をしなかった場合の予後の見通しについて説明を行い、もって、Dにおいて本件クリッピング手術を受けるか否かを自らの判断で決定するための基礎を提供したものと認めるのが相当というべきである。被告御任に本件説明義務違反があったとすることはできない。

3  したがって、原告らの争点<1>に関する主張は、理由がない。

二  争点<2>(本件クリッピング手術時における過失の有無)について

証拠〔甲二四号証、乙三、七、八、三六号証、鑑定の結果〕によれば、Dの本件クリッピング手術後の脳内出血の原因が本件クリッピング手術中に損傷した血管からの出血である可能性は否定できないものの、他方、被告らが主張する上矢状静脈洞血栓の形成による静脈還流障害が原因である可能性もあながち否定できないものと認められるところであり、結局のところDの右の脳内出血の原因は不明であるというほかはなく、その出血の原因を本件クリッピング手術中に血管を損傷したためであると断定することはできないといわざるを得ない。

したがって、争点<2>に関する原告らの主張は、理由がない。

三  争点<3>(ア)(本件クリッピング手術後の診察義務違反の有無)について

1(一)  前示の基礎となる事実及び証拠〔甲一六号証、乙三、七号証、原告Aの供述、被告御任の供述〕及び弁論の全趣旨によれば、被告御任は、本件クリッピング手術後第二回CT検査を施行するまでの間、a三月二四日午後八時ころ、b同日午後一〇時ころ、c三月二五日午前八時ころ、d同日午後二時四五分ころ、e同日午後七時ころ、及びf同日午後一〇時三〇分ころ、の合計六回にわたってDを診察し、その意識状態、麻痺の有無、対光反射の状況、瞳孔不同の有無等をチェックし、Dの容態を把握しようとしていたものと認められる(なお、これらのうち、bdeの三回については、診療録〔乙三号証〕の医師記載部分に被告御任が診察した旨の記載はないが、b及びdについては、甲一六号証〔原告Aの陳述書〕において、原告Aも被告御任が病室を訪れたことを認めていること、eについては、被告御任が一貫して診察した旨の供述をしていること及び乙三号証によれば、その後、午後八時ころから新たな治療方法が看護婦に対して指示されていると認められることから、いずれも被告御任が右のころに診察したものと認められる。)。

(二)  一方、乙三号証によれば、本件病院脳神経外科の看護婦らは、本件クリッピング手術後、ほぼ一時間毎にDの病室に来て、Dの様子を観察していたものと認められる(この点に関して、原告らは、看護婦が一時間毎にやってくることはなかったと主張し、これに沿う甲一六号証及び原告Aの供述が存在するが、乙三号証の看護記録には一時間毎の処置内容を含めた記載があり、これらの記載内容に照らせば、右の記載が、看護婦らが観察した事実がないのにもかかわらず、後日になって虚偽の事実が記載されたものであると認めることはできず、この点に関する原告らの主張を採用することはできない。)。なお、右(一)の被告御任の各診察のうち、bdfは、看護婦からの連絡を受けて診察が行われたものである。

2  ところで、前示のとおり、本件クリッピング手術は、頭蓋内部に侵襲を加えるものであり、手術中に血管を損傷したり、動脈瘤等から出血したりする可能性や、その他の合併症をひき起こす可能性もある手術であるから、手術の執刀医でありDの主治医である被告御任には、本件クリッピング手術後のDの容態について十分な注意を払い、適宜の時期に自ら診察し、また看護婦にDの容態を観察させて必要な報告をさせるなどし、Dに合併症等の徴候がみられた場合には早急に適切な措置を取ることができるようにすべき注意義務があることはいうまでもない。

しかしながら、他方、医師の診療行為の性質からすれば、右のような意味での患者の容態に関する診察・観察義務を具体的にどのような方法ないし態様により尽くすべきかは、もとより当該患者の具体的な疾患や容態を踏まえた医師としての医学的見地からする専門的な判断に委ねられているものであって、もともと、診察の回数、頻度ないし時間的間隔等の外形的、形式的な標準によって直ちにその義務違反の有無を論ずることができるような事柄でないことは多言を要しないところである。

そして、本件においては、被告御任は、本件クリッピング手術後、自らは右1(一)のとおりの回数ないし頻度でDを診察し、その意識状態、麻痺の有無、対光反射の状況、瞳孔不同の有無等をチェックし、Dの容態を把握しようとしているのであり、また、看護婦らにはDの意識状態、瞳孔所見、血圧、脈拍、呼吸状態に変化が見られたら報告するように指示していた〔被告御任の供述、弁論の全趣旨〕のであり、看護婦らは、右1(二)のとおりDの容態を観察し、被告御任に報告していたところであるが、右のようなDの容態に関する診察・観察の方法ないし態様についての外形的な状況から直ちに右の診察・観察義務違反があったものと認めることはできないというべきである(なお、被告御任において、右のような診察・観察方法を取ったがために、いわばその必然として、Dの容態を的確に把握することができず、漫然と保存的治療に委ね続けるといった判断ミスを犯した、との関係を認めるに足りる証拠もない。)。

3  したがって、争点<3>(ア)に関する原告らの主張は、理由がない(なお、原告らの争点<3>(ア)に関する主張の趣旨が、被告御任の本件クリッピング手術後におけるDの容態についての診断が不適切であったため、Dに対し外減圧術を施行すべき時期を失してしまったとの趣旨をも含むものであるとすれば、その点は、結局のところ争点<3>イについての判断に包含される問題となる。)。

四  争点<3>(イ)(本件クリッピング手術後早期に外減圧術を行うべき義務の違反の有無)について

1  前示の基礎となる事実及び証拠〔甲一六号証、乙三ないし七号証、原告Aの供述、被告御任の供述〕並びに弁論の全趣旨によれば、本件クリッピング手術後のDの容態の変遷について、以下の事実が認められる。

(一) 本件クリッピング手術は、基礎となる事実2(二)(2) のとおり、平成五年三月二四日午後二時五四分から六時一五分にかけて、被告御任及び山崎医師により施行された。

本件クリッピング手術後、ICUに移室された直後のDは、麻酔覚醒が良好であり、運動麻痺や瞳孔不同もなく、対光反射も迅速であり、呼びかけに対し開眼し、意識レベルはII-10、すなわち、刺激すると覚醒する状態のうち、意識障害の最も軽い部類のものと判断された。ただし、この判断をした時点では、Dの声門の下に麻酔ガスを送るための挿管チューブが挿入されたままであった。

同日午後六時三〇分過ぎころ、被告御任は、Dの麻酔覚醒は良好であると判断し、Dから挿管チューブを抜管したところ、Dは自発呼吸を始めたが、頻呼吸の傾向にあっため、マスクによる一分間三リットルの酸素投与を開始した。この時点では瞳孔不同はなく、意識レベルはI-2~3(刺激しないでも覚醒している状態)と判断されたが、一方で、左筋力の低下について「±か?」との診断がされた。

同日午後八時ころ、Dが自分で抑制帯をほどいて起きあがろうとしたことから、看護婦らはDの両手と下肢をベッドに縛り付けた。Dは、看護婦らの呼びかけに対し、「あーわかった、わかったよー。」と発言するなどした後、いびきをかきながら入眠した。このころ、Dを診察した被告御任も、瞳孔不同や麻痺はなく、意識レベルはI-2~1であると判断した。なお、Dがその後も時々自分で起き上がろうとしたため、看護婦が、午後一〇時ころ、被告御任に、Dの右のような状態について報告し、被告御任が診察したが、被告御任は、Dに特段の変化を認めなかった。

その後、同日深夜から翌二五日早朝にかけても、体動は時々あるものの、瞳孔不同は認められず、意識レベルの変動も認められない状態が続いた。

(二) 二五日午前八時ころ、被告御任がDを診察すると、対光反射は迅速であったが、意識レベルはII-20~30(強い刺激で反応する程度)と前夜より低下しており、左不全麻痺や舌根沈下傾向も認められたことから、被告御任は、脳浮腫を疑い、グリセノン二〇〇ミリリットル及びリンデロン四ミリグラムの投与を開始するとともに、緊急にCT検査を行うことにした。

そして、被告御任は、同日午前九時三〇分過ぎころ、頭部CT検査(第一回CT)を施行した。右CTの結果、被告御任は、Dの右前頭頭頂部に約四×三×四センチメートルの範囲での脳内出血(血腫)の所見と右脳の浮腫の所見を認めた(なお、脳浮腫については、Dの脳に明らかな正中構造の偏位が認められることから、相当程度強いものであると認められる。)。この検査結果を検討した被告御任は、出血以上に浮腫が強いので、この時点で外科的な手術をすると、更に脳のむくみが増す可能性があると考え、とりあえずは内科的な治療、すなわち、脳浮腫を抑制するための薬であるグリセノンやリンデロンを回数を増やして投与することで対応することとした。そして、同日午前一〇時ころ、原告らに、第一回CTの写真を示しながら、脳浮腫が強いことや今後の治療方針についての説明を行った。

(三) 同日午後零時ころ、Dは、呼名に対して反応を示さず、吸引で嫌な顔をするだけであった。

午後二時過ぎころには、Dのいびき様の呼吸がひどかったことから、看護婦は被告御任にその旨を連絡した。

午後二時四五分ころ、Dは、呼名に対して反応を示さず、四肢の運動が消失し、看護婦の観察では意識レベルの低下も認められ、看護婦から右の連絡を受けてDの診察に来た被告御任は、Dにエアーウェイチューブを挿入し、投与する酸素も本件クリッピング手術後は一分間三リットルの投与であったものを一分間四リットルに増量する処置を取った。

午後四時ころにも、Dにいびき様呼吸が認められ、意識レベルは<->と観察され、また、対光反射の鈍さが認められた。

午後六時ころには、刺激に対する反応はあるものの、開眼はせず、対光反射も鈍く、呼名に対する反応もなかった。また、看護婦の観察によると、瞳孔が二・〇×一・五と、軽度の瞳孔不同が認められた。

その後もDの容態に改善は見られず、午後八時三〇分ころには対光反射がなく、血圧も一八〇を超える高い値の状態が続いた。

(四) そして、午後一〇時ころ、Dの体温が三八・一度に上昇し、対光反射がなく、顔色が蒼白気味で、口唇不良となり、瞳孔が五・〇×三・五とその不同が顕著になったことなどから、看護婦は病院近くの自宅に帰宅していた被告御任に連絡を取った。

被告御任は、本件病院に戻り、午後一〇時三〇分ころDを診察したところ、Dは不規則呼吸の状態にあり、瞳孔不同が認められ、意識レベルはIII-200 (痛みを与えても覚醒せず、顔をしかめ手足を動かすが、払いのけられない状態)と判断された。そこで、被告御任は、直ちに気管内挿管による呼吸管理を開始するとともに、緊急のCT検査を施行することにした。

同日午後一一時ころ施行した頭部CT検査(第二回CT)の結果によれば、脳内血腫はそれほど増大していないものの、正中構造の偏位は強くなっており、脳浮腫の悪化が認められたことから、被告御任は、もはや保存的治療は限界にきており、直ちに外減圧術を施行することが必要であると判断した。

(五) 翌二六日午前〇時三二分から同二時三五分までの間、被告御任及び山本医師により外減圧術が施行された(但し、この手術においては、硬膜を開けることによる減圧処置は施されたが、血腫除去の処置は取られていない。)。

そして、手術後はラボナール療法(保存的治療法の一つ)が施行されたが、その後も意識レベルがIII-300 (深昏睡状態)程度の状態が続くなど、容態の回復が認められないまま、Dは、四月八日午後七時二三分、死亡した。

2  以上に認定した本件クリッピング手術後のDの容態の変遷等に基づいて、被告御任に本件クリッピング手術後早期に外減圧術を行うべき義務の違反があったか否かについて検討する。

(一) 証拠〔甲三、二四、二六号証、乙一二、三六号証、証人斎藤、証人中村の各証言、鑑定の結果〕及び弁論の全趣旨によれば、頭蓋内圧亢進に対する治療方法等について、以下の事実が認められる。

脳内血腫や脳浮腫等により頭蓋内圧が亢進し、これが高度に進行すると脳ヘルニアをひき起こし、脳幹の圧迫による不可逆的な脳障害をもたらし、更には生体を死に至らしめることになる。したがって、患者に頭蓋内圧の亢進が認められた場合には、できる限り早期に、原因となっている血腫等の占拠性病変の除去等の減圧のための処置を執ることが必要である。この場合、まず、脳浮腫を抑制するため、グリセノン等の高浸透圧剤やリンデロン等のステロイド剤等の薬物を投与し、保存的(内科的)に頭蓋内の減圧を図るのも一つの方法である。しかし、このような内科的減圧処置を施しても効果が現れず、なお頭蓋内圧の亢進が続き、脳ヘルニアへの進行が疑われるような場合には、外減圧術(頭蓋骨の一部を除去し、硬膜を開いて頭蓋内圧を減圧させる手術)等の外科的な減圧術を施行する必要がある。

そして、右のような頭蓋内圧の亢進が脳ヘルニアへと進行する徴候として重視すべき臨床症状は、特に<1>意識障害の進行、<2>瞳孔異常の出現の二つであり、これらの症状を総合的に観察して、ヘルニアの徴候を早期に把握すべきである。

ところで、脳ヘルニアのうち、脳組織の偏位が水平方向に起こり、側頭葉内側部がテント切痕内に嵌入する鉤回ヘルニアまたは海馬回ヘルニアの場合には、中脳及びその付近の脳組織から障害され、この場合の症状は、意識障害や瞳孔異常などを中心として起こってくるが、瞳孔不同が生じても直ちに手術を行えば、救命が可能なことも多い。そして、意識障害の程度すなわち意識レベルの判断は判定者によつて異なることがあるが、瞳孔不同の判断は判定者による差が比較的少ないことから、一般には、瞳孔不同の出現をもってテント切痕ヘルニアへの進行の徴候と捉え、内科的減圧法の限界、外科的減圧術適応の目安として用いられることが多い。一方、中心性経テントヘルニアの場合、すなわち、脳組織の偏位が主として垂直方向に起こり、まず間脳から障害される脳ヘルニアの場合には、瞳孔不同は末期にならないと起こらないため、瞳孔不同を呈してからでは救命できる可能性は非常に少なくなる。したがって、意識障害の進行度合を注意深く観察して脳ヘルニアへの進行の徴候を見落とさないようにする必要がある。ただし、中心性経テントヘルニアと鉤回(海馬回)ヘルニアとの識別は臨床の現場では困難であるとされており、また、中心性経テントヘルニアの方が発症の頻度は少ない。そして、本件のDの症例は、中心性経テントヘルニアにみられる中心性症候群を呈していたと認められる。

もっとも、テント切痕ヘルニアが右のどちらの類型に該当する場合でも、意識障害の程度からみると、内科的減圧法の限界は意識レベル二桁までであり、どんなに遅くとも意識レベルがIII-100 まで低下した場合には、早急に外科的減圧術が施行される必要がある。

(二)(1)  そこで、Dの頭蓋内圧亢進の状況の推移についてみると、前1(一)のとおり、Dは、三月二四日の本件クリッピング手術直後は、呼びかけに対し開眼する状態であり、同日午後八時の時点では被告御任による意識レベルの判断もI-2~1とされていたところであり、午後一〇時ころの段階でも、抑制されていたDが自分で起きあがろうとするなどの不穏状態はあったものの、被告御任の診察によれば、Dの状態に特段の変化を認めなかったところである。したがって、この時点では、Dの頭蓋内圧の亢進が相当程度進行していることを疑わせるような具体的状況にあったとは認め難いところである。

(2)  そして、前1(二)のとおり、本件クリッピング手術の翌日である二五日午前八時ころの被告御任による診察では、意識レベルはII-20~30と前夜より低下しており、左不全麻痺や舌根沈下傾向も認められ、更に午前九時三〇分過ぎころ実施した第一回CTの結果、被告御任によれば、Dの右前頭頭頂部の四×三×四センチメートルの脳内血腫と相当強い右脳全体に及ぶ浮腫の所見が認められたのであるから、この段階では、Dの頭蓋内圧の亢進に対する適切な減圧処置が緊急に必要とされる状況にあったことは明らかである(斎藤意見書〔甲二四号証〕も、第一回CTでは四×四・五×六センチメートルの血腫、正中構造物の偏位、反対側の左脳室の拡大が認められ、頭蓋内圧亢進が示唆されるとしている。)。しかし、右の時点では、未だ瞳孔不同が認められず、意識レベルもII-20~30という二桁のレベルにとどまっているのであって、この時点において既に内科的減圧法が無効であると判断すべき状況に至っていたものと認めることはできない。そして、証人斎藤の証言によっても、脳浮腫がひどい場合に開頭すると更にひどくなる場合もあるというのであって、被告御任において、Dの脳浮腫が強かったところから、この脳浮腫を増悪させる可能性のある血腫除去のための外科的減圧術を施行する前に、まず、浮腫を抑制しようと考えて、グリセノンとリンデロンの投与による内科的減圧方法を選択したことに相応の合理性があることも否定することはできないというべきである(なお、観点はやや異なるが、鑑定においても、右の時点で「早急に行えるグリセオールとステロイドによる内科的減圧をまず行ったことは適切であったと考える。」としているところである。)。

(3)  もっとも、前1(三)のとおり、看護記録〔乙三号証〕によれば、Dは、その後も、午後零時ころには呼名に対する反応がなく、吸引すると嫌な顔をするだけの状態となっており、午後二時四五分ころにも呼名に対する反応がなく、四肢の運動が消失し、意識レベルも低下したと観察され、さらに午後四時ころには対光反射が鈍となり、意識レベルも<->と観察されるというように、Dの意識レベルは低下の一途をたどっており、意識障害が時間の経過とともに進行していったものと認められるところである。すなわち、被告御任がとった保存的治療法がDの頭蓋内圧の亢進を阻止するのに十分な効果を発揮することのないまま、事態は脳ヘルニアへと進行していったものである。そして、以上のような意識レベルの推移の中で、遅くとも午後四時ころの時点での意識レベルは、三桁にまで低下していると判断し得る状態であったというべきであり、右(一)のとおり、頭蓋内圧の亢進に対処するため、外科的減圧術の施行に踏み切るか否かを判断するに当たっては、意識レベルの低下に十分留意する必要があるのであるから、意識障害の進行という観点からすれば、右の午後四時ころの時点で、被告御任において、脳ヘルニアへの進行を阻止するため、速やかに外科的減圧に踏み切ることを検討すべきであったというべきである。

しかしながら、右(一)のとおり、テント切痕ヘルニアでは瞳孔不同の出現をもって外科的減圧術適応の目安とされることが多く、このことにも発生頻度の高い鉤回ヘルニアに関しては一定の合理性が認められるところであるから、午後四時の段階では未だ瞳孔不同の出現が認められていなかったという状況の下では、臨床の現場では鉤回症候群とDの呈した中心性症候群との識別が困難であるということも考慮すると、右の時点で、被告御任において、速やかに外科的減圧に踏み切ることも検討しなかったことをもって、直ちに臨床医療に携わる医師として要求されるべき注意義務を怠ったものと断定することは困難であるといわざるを得ない。

(4)  とはいえ、前1(三)のとおり、その後、Dは、午後六時には、看護婦の観察によれば二・〇×一・五の瞳孔径であったのである。確かに、鑑定の結果及び被告御任の供述にもあるように、右の午後六時の瞳孔径の状態それ自体を捉えるだけであれば、それが瞳孔不同として医学的に有意義のものと見るか否かは見解の分かれるところであろう。しかし、右(一)のとおり、外科的減圧術の施行に踏み切るか否かを判断するに当たっては、もともと、瞳孔異常の点についてばかりでなく、意識障害の進行状況についても十分留意して、ヘルニアの徴候を早期に把握する必要があるところ、本件におけるように、午前八時三〇分ころからのグリセノン及びリンデロンの投与による内科的減圧処置の開始後も、午後四時までの時間の経過の中でDの意識障害が進行し、意識レベルが三桁にまで低下し、午後六時の時点に至っても、前1(三)のとおり、Dに開眼や呼名に対する反応が認められず、意識レベルに改善がみられることはなかったのであるから、このような意識障害の進行状況と併せれば、被告御任においては、右の程度の瞳孔径の違いであっても、これを有意義な瞳孔不同の出現と受けとめ、脳ヘルニアの進行を疑い、直ちに外科的減圧術の施行を準備すべきであったといわざるを得ない。

3  以上によれば、被告御任は、遅くとも三月二五日午後六時の時点においては、Dの頭蓋内圧の亢進が脳ヘルニアへと進行し、不可逆的な脳障害を生じさせる事態に至ることを阻止するため、直ちにDに対する外科的減圧術の施行を準備すべきであったにもかかわらず、この義務を怠り、その後もいたずらに効果の認められない保存的治療法を継続させた過失があったというべきである。

そして、その結果、被告御任において二六日午前〇時三二分ころから開始したDに対する外減圧術は、無効に帰したところである。

五  争点<4>(被告内田の診療体制における過失の有無)について

1  まず、本件病院における緊急事態に対応する診療体制の不備等の点についてみると、確かに、本件病院脳神経外科には、平成五年当時、常勤医師としては被告御任しかおらず、非常勤の山崎医師が週に一回診察に来ていただけである〔被告御任の供述〕が、病床数がすべての診療科目を併せても一三八床に過ぎず〔弁論の全趣旨〕、脳神経外科の外来患者も一日二〇人程度でそれほど忙しくはなかった〔被告御任の供述〕というのであるから、被告御任に入院患者に対する診療に必要な時間を割く余裕がなかったと断定することはできない。また、本件病院では、手術及び術後の管理については、東邦大学脳神経外科医局の指導を受け、緊急手術の場合には外科医が協力する体制を採っていた(本件外減圧術の施行の際においても外科の山本譲司医師が立ち会ったところである。)のであるから、緊急事態の発生に対応できるだけの体制を採っていなかったと認めることもできない。

2  次に、本件病院における看護婦によるDの容態の観察や被告御任と看護婦との連絡体制の不十分さの点についてみると、前示三のところからすると、本件クリッピング手術後に被告御任がDを診察した回数は決して多いとはいえないところであり、その間、看護婦による観察が十分にされていたかについては、看護記録に付されているDの身体状況の経過を連続的に示す表(乙三号証一一一枚目)には、三月二五日午前八時以降の意識レベルの記載がされなくなっていること等に照らすと、脳クリッピング手術後の患者に対する看護婦による観察として十分なものがなされていたかについては疑問がないわけではない。

しかし、右のような看護記録の記載状況が、本件病院の診療・看護体制の不備に基因するものであるとまで推認させるとは言い難いし、右看護記録によれば、少なくとも、Dの意識障害が進行していた三月二五日午前八時以降のDの身体的状況については看護婦により必要な観察がなされていたものと認められるのであり、その結果午後二時過ぎころや午後一〇時ころには被告御任への連絡もされていたのであるから、個別具体的な看護婦の被告御任への連絡の要否に関する判断の当否の点はともかく、本件病院の看護体制自体として、Dに生じたような緊急事態に対応できないほどの不備があったと認めることはできない。

3  したがって、原告らの争点<4>に関する主張は、その余の点について判断するまでもなく理由がない。

六  被告らの責任原因について

以上によれば、前示四のとおり、被告御任には、Dの脳ヘルニアの進行状況についての診断を誤り、外科的減圧術を施行することを要する時期までに外科的減圧術を施行しなかった過失(以下「本件過失」という)があるから、被告御任は、不法行為に基づき、本件過失によりD及びその遺族である原告らについて生じた損害について賠償すべき義務がある。

また、被告内田は、本件病院の開設者として被告御任を使用していた者であるから、使用者責任に基づき、右損害について賠償すべき義務がある。

七  因果関係及び損害について

そこで、本件過失と相当因果関係のあるD及び原告らに生じた損害について検討する。

1  訴訟上の因果関係の立証は、経験則に照らして全証拠を総合検討し、特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認し得る高度の蓋然性を証明することであり、その判定は、通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るものであることを必要とし、かつ、それで足りるものである。そしてこのことは、本件のように、医師が注意義務に反して行うべき診療行為を行わなかった不作為と患者の死亡との間の因果関係の存否の判断においても異なるところはなく、経験則に照らして全証拠を総合検討し、医師の右不作為が患者の当該時点における死亡を招来したこと、換言すると、医師が注意義務を尽くして行うべき診療行為を行っていたならば患者がその死亡の時点においてなお生存していたであろうことを是認し得る高度の蓋然性が証明されれば、医師の右不作為と患者の死亡との因果関係はこれを肯定すべきものである。

そこで、右のところを本件について見ると、証拠〔甲二四、二六号証、乙三六号証、鑑定の結果〕によれば、頭蓋内圧が亢進している状況の下においてでも、意識レベルが三桁にまで低下した直後に適切に外科的減圧術が施行されれば、回復ないし治療効果が期待できるものと認められるから、Dについても、被告御任において、三月二五日午後六時の時点で直ちに外科的減圧術の施行を準備し、その後可能な限り早期に右手術を施行していたとすれば、その後適切な治療を施すことにより、少なくとも平成五年四月八日午後七時二三分というDの死亡の時点においては、Dはなお生存し、かつ、その後も一定の期間生存していたであろうことを是認しうる高度の蓋然性があるものと認められる。

なお、被告らは、本件クリッピング手術後のDの脳内出血の原因が上矢状静脈洞血栓症を原因とする静脈還流障害による静脈性出血性脳梗塞によるものであることを前提として、この血栓症に対する適切な処置が行われていない以上、仮に三月二五日の夕方ころまでに外科的減圧術を施行したとしても、Dの病態を改善することはできず、Dの死亡の回避可能性はなかった旨主張する。しかしながら、前示二のように、Dの右脳内出血の原因は不明というほかはないのであって(なお、その原因が被告らの主張のようなものである可能性は、あながち否定することはできないものの、必ずしも高いものとはいえないところである〔甲二四号証、鑑定の結果〕)、被告らの右の主張は前提を欠き、採用することはできない。

したがって、被告御任の本件過失とDの死亡との間には因果関係が存在するものというべきである。

2  そこで、次に、被告御任の本件過失と相当因果関係のある損害はどの範囲であるかを検討する。

右1のとおり、三月二五日午後六時の時点で直ちに外科的減圧術の施行が準備され、早期に施行されていたならば、Dは四月八日午後七時二三分の時点ではなお生存し、かつ、その後も一定の期間生存していたものと認められるところである。しかし、右の時点で外科的減圧術が施行されていたとしても、証拠〔甲二四、二六号証、証人斎藤の証言、鑑定の結果〕及び弁論の全趣旨によれば、少なくとも相当重度の左片麻痺の後遺症が残存したり、あるいは植物状態となった可能性が相当程度高いものと認められ、反対に、本件に現われた全証拠に照らしてみても、Dが日常生活に支障のない状態にまで回復し、労働に従事することができたであろう高度の蓋然性を認めることはできないといわざるを得ない。

そこで、原告らの主張する各損害について判断すると、以下のとおりとなる。

(一) 逸失利益

右のとおり、被告御任が三月二五日午後六時ころの時点で外減圧術を施行していたとしても、Dが通常の社会生活を営み、労働に従事することができるまでに回復できた蓋然性が高いものとは認められないのであるから、原告らが主張するDの逸失利益については、被告御任の本件過失と相当因果関係のある損害であると認めることはできない。

(二) 慰謝料

Dは、被告御任の本件過失により、死亡するに至ったものであるところ、Dは原告ら一家四人の支柱として家族の生活を支えていた者であり、未だ働き盛りにある五〇歳という若さで予期せずしてその生命を失うに至ったことにより、著しい精神的苦痛を被ったものと認められる。

そして、本件に顕れた諸般の事情を総合考慮すると、右精神的苦痛に対する慰謝料としては、一八〇〇万円が相当と認める。

なお、Dについて生じた右の損害賠償請求権を原告らは法定相続分により相続したものであるから、原告Aは九〇〇万円、原告B及び原告Cは、それぞれ四五〇万円の損害賠償請求権を有するに至ったものである。

(三) 葬儀費用

甲一五号証によれば、原告Aは、Dの葬儀費用として一七八万二五七五円を支出したことが認められ、これは、被告御任の本件過失と相当因果関係のある損害であると認められる。

(四) 弁護士費用

本件訴訟追行の難易、認容額等諸般の事情を考慮すれば、被告御任の不法行為と相当因果関係のある原告らの弁護士費用は、原告Aについては一六〇万円、原告B及び原告Cについてはそれぞれ七〇万円であると認めるのが相当である。

(五) まとめ

以上によれば、被告御任の不法行為と相当因果関係のある原告らが相続した損害及び原告らの損害は、原告Aについては一二三八万二五七五円、原告B及び原告Cについてはそれぞれ五二〇万円である。

第四結論

以上によれば、原告らの請求は、原告Aが、被告らに対し、連帯して一二三八万二五七五円、原告B及び原告Cが、被告らに対し、連帯してそれぞれ五二〇万円及びこれらに対する不法行為の後の日である平成五年四月八日から完済まで民法の定める年五分の割合による遅延損害金の各支払を求める限度で理由があるから、その限度でこれらを認容し、その余はいずれも理由がないからこれらを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法六一条、六四条本文及び六五条一項を、仮執行の宣言について同法二五九条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 川勝隆之 裁判官 坪井宣幸 裁判官 澤村智子)

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